お仏壇を「拝む」ということの意味とはなんでしょう? | お仏壇の処分・引取り・回収なら【仏壇供養の一休堂】大阪・兵庫・京都・奈良・滋賀・三重・淡路島・和歌山

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2020.02.21すべて

お仏壇を「拝む」ということの意味とはなんでしょう?

~この記事を読んでいただいている方々へ~

 

お世話になっております。

 

2月も早いもので中旬に入り、気温も少し上がる日が増えてきました。

 

特に東京は本日非常に良い天気で暖かく過ごしやすい日で、こころなしか我々の仕事もはかどるような気がしました。

 

さて、普段我々はお仏壇のご供養、運搬を業務として行わせていただいておりますが、お電話のお問合せでお仏壇に関しての様々なご質問をお受けすることがございます。

 

今回は最近お客様からお問い合わせのあった、興味深いご質問について我々なりにお調べをした内容も踏まえ、お答えしていきたいと思います。

ご質問:『仏壇を拝む』という言葉を耳にしますが、どういう意味でしょうか?

 

我々がご先祖様に向けて、お仏壇に向けて普段普通に行っている行為ー。

 

拝むという行動にはいったいどんな意味が込められているのか?というご質問ですね。

 

思えばお仏壇を取り扱いさせていただく我々にとっては『拝む』ということは至極普通の行動であり、このような行動をなぜ行ってるかを深く考えることはありませんでした。

 

そのためコチラのご質問に大変興味が沸き、いろいろと調べていく内に、拝むという行動には以下のような意味があることがわかってきました。

 

結論から申し上げますと、拝むという行動自体にはそれを行う方にとって解釈はそれぞれで、それは普段から仏様を前にしている、お坊さんにとっても例外ではないようです。

 

各種の質問サイトなどの見解ではいろいろな意見があり非常に興味深い内容もあります。

 

今回はそんな『仏壇を拝む』という行動について解説していきたいと思います。

 

お仏壇を『拝む』意味とは?

 

ここからは早速、『拝む』という行動について仏教の視点や普段、仏教となじみ深いお坊さんの見解などから拝むという行為にはいったいどのような意味があるのかについて解説、考察していきます。

冒頭でもご説明したように様々な見解がありますが、今回はそんな中から4つピックアップしてご紹介していきます。

●仏様の声を聞く(話を聞いてもらう)

拝むということを論じる上で多いのが拝むという行為は仏様の声を聞くという意味であるという事です。

仏様の声を聞き、対話を行い、仏様にあなたのお話を聞いていただきましょう。

皆様は日常生活の中で人に相談したいこと、ただ話だけを聞いてほしいという思いを持っておられると思います。

ただ日々そのような思いを持ちながらも人には相談しにくいことで、心に押し殺していることも多々あるでしょう。

仏様はそんな話しにくいことでさえも受け入れてくれます。

手を合わせ、お仏壇に拝むことであなたの心は軽くなり気持ちの良い明日を迎えることができるでしょう。

ただ、不平不満を放つだけでは仏様を思う気持ちは薄れてしまいます。

話を聞いてもらったあとは感謝の気持ちを必ずお伝えする様にしましょう。

 

仏教には「同事(どうじ)」という言葉があります。

同事の意味は相手の立場に立つという意味です。

仏様は私たちの苦しみや苦痛などを我がごととして考えてくれているそうで、仏様は私たちと同じ目線で見てくれています。

仏様が宿るお仏壇はまさにあなたの心の中を写す鏡のようなもの。

普段からお仏壇のお手入れをかかさず、尊敬の念を持ってお仏壇、仏様と接していくことが非常に重要なのです。

●ただ拝むこと 無為

 

願いや感謝の気持ち、仏様との会話など拝むという行為にはさまざまな意味があると言われますが、あるお坊さんは拝むことの意味とは『ただ拝むこと』が重要であるという見解もあります。

 

世の中にはさまざまな嫌なことや雑音、そして矛盾があります。

毎日仏様に拝む時に余計なことは考えず無心にして拝むことにより、心の中の余計な雑念を排除する事が目的です。

お仏壇の話からは少し離れますが、メンタルヘルスの業界ではマインドフルネス(瞑想に近いこと)が心の安定に科学的効果があると注目されています。

拝むというのはこのマインドフルネスや瞑想に近い心の安定に向き合う方法の一つでもあるのでしょう。

拝む以外にも日常生活の中にはそのような雑念が原因で成し遂げられないことが沢山あります。

時には何も考えず、やってみた方がいいことはたくさんありますよね。

お仏壇に向かい、ただ雑念を捨て拝むことでこのような雑念を取り払うことはきっと日常生活にも活きてくるでしょう。

●「いつもありがとうございます」という感謝の気持ち

 

お仏壇の前で拝む行為は仏様へ、日常のあらゆる出来事に感謝の気持ちを伝えるという場であるという考え方もあります。

日常には様々な嫌なこと、ネガティブな面が目立って見えますが実はそれを良いことと捉えるか、悪いことと捉えるかは考える人の考え方一つで大きく方向性は変わります。

いつも私たちを見守ってくれている仏様に対して感謝を伝えると心はいい方向に進みます。

科学的にも、感謝の気持ちを表せる人は精神的にも安定した方が多いというのも証明されています。

仏さまにお話を聞いてもらう(願う)

なぜ「合掌」を行うのか?

 

ここまではお仏壇に拝む意味を解説してきましたが、最後になぜ拝む方法として『合掌』が必要なのかについても触れておきます。

合掌はいうまでもなく、両方の手のひらを合わせて拝むことを指し、お仏壇を前にした時に皆さんが一様に取る仕草ですよね。

もともとはインドの敬礼作法が仏教に取り入れられたもので、仏教国では相手に敬意を示す方法として挨拶にも使われている方法です。

インドでは右手が清浄(仏)、左手が不浄を表します。

インドの方々が食事をする際に右手を使って食されるのはこういった教えから来ています。そして左手は衆生(生命のあるすべてのもの。人間をはじめすべての生物)のことを指します。

右手で表現される「仏」と左手で表現される「衆生」。

この2つを合わせることによって仏と衆生が一緒になることでこれがすなわち「成仏」という意味になるんですね。

また科学的にも左右の手のひらを併せ体の中心に持ってくる合掌の姿勢はリラックスに非常に有効な姿勢ともいわれており、ヨガやピラティス、瞑想などの様々な場面で合掌の姿勢を行うことは科学的にも理にかなった行動であるということがいえるかと思います。

さいごに

 

いかがだったでしょうか。

仏様を「拝む」という意味はそれぞれの解釈によって異なるものの、共通するべきところは自分の気持ちを落ち着かせる(キレイにしてくれる)行為であるということだと思います。

ご先祖様に拝むことにより何ができるかは重要ですが、その前にお仏壇をお手入れし拝む側である方の心が良い状態で向き合うことも重要ですよね。

そんな仏様が宿るお仏壇はまさに『ご自身の心を映す鏡』のような存在、こころのよりどころだといえます。

我々「仏壇供養の一休」ではお仏壇のご供養とご供養後魂が抜け、箱の状態になった古いお仏壇の処分を行うということを生業にしていますが、お仏壇の最後を見守る立場にもあり、今回このようなご質問をいただき、改めてその意味を調べてアウトプットしていくことで、より専門性を高めることが出来たとお客様には感謝しております。

 

また、今回の経験を踏まえさらに我々がお仏壇を扱う業者としてさらなる精進が必要であることも考えさせられました。

今後もお仏壇に関わるスペシャリストとしてさらなる知識の補充を行っていきたいと思います。

お仏壇のご供養、ご処分にお困りの方におかれましてもいかなる些細なご質問に対しても我々は真摯に取組みお答えしていく所存です。

お困りの際は是非お気軽にお問合せいただけると幸いです。

 

 

仏壇供養の一休